****

個人的な観劇記録

弟マモルを中心に観た「Indigo Tomato」の感想

(初見。12/7マチネを鑑賞。リピート鑑賞したかったのですが都合つかず……一度しか観れずの感想です;;)

 

序盤の「バリアフリーな人だね」という台詞にほっこりすると同時に、きゅっと胸をつかまれた。


あやさんに出会った時の台詞だ。
人を嗅ぎ分ける嗅覚が身についてるんだなと思った。

 

あざやかな黄色を身にまとい、パッと明るく笑うあやさんは、見るからにカンジのイイ人だが、

マモルが、兄というフィルターを通して人を見ることで、世間の人に対して「この人は大丈夫か? 大丈夫じゃないか?」ある種の判断基準を獲得しているのは確かだ。

 

人間を正面から見られない兄のタカシは、前より美味しくなったのは作る人が変わったからだと、好物のトマトジュース(自身の味覚)を通じてあやさんと出会っていた。

 

兄も弟も、それぞれの繊細な感覚を通してあやさんと出会う。

 


長江さん演じるマモルは美しかった。かちっと硬くて、きれいだった。

 

健常者か障害者かで世界を二つに割りたくはないが、
どちらかといえば一般的な感性を持つ弟のマモルは、主人公タカシと私たち観客を繋ぐ〝架け橋〟だ。

 

〝架け橋〟であり、〝防壁〟であり、生活を支える〝土台〟だった。
硬い。良い。

 


マモルがある意味つらい役回りだと思うのは、象徴だからだ。
弟マモルは、タカシ自身が無自覚な、彼の現実の象徴だ。いつも裏側からライトを当てる。

 

天才は、世の当たり前ができないことの裏返し。

変化のない世界は、八方塞がりの裏返し。


家と施設と公園、安全な輪のなか、常同行動をくりかえすタカシの毎日は、マモルが一日11時間必死にアルバイトをして守っている。

 

つらい。観劇前にあらすじを読んだときからそれはもう辛かったが、
でも実際に観劇してみると「マモルが犠牲になっている」みたいな辛さは不思議と少なかった(私にとっては)。
「僕がマモルを親のない子にしたんだ」と叫ぶあの場面はもちろん辛い。それ以外を最低限に抑えている、という感じ。

 

それがIndigoTomatoの良さだと思う。私はそこが好きだった。

家族は犠牲にならない。「絶対にそういう作品にはしないぞ」という矜持を感じる。

 

ASD自閉スペクトラム症)を正確に描こうとする誠実さと、
かといって悲劇に向かわず、マイナス面に引っ張られすぎず、あたたかく描いていこうとする芯の強さを感じた。


(作り手のそういうバランス感覚が、全体を通して感じられる作品って、好きだ。作者の芯の強さを感じながら観ていられる作品は幸せ。)

 

 

タカシが美しいのはもちろんだが、どうしてもマモルの美しさについて書いておきたかった。

 


美術照明が何色の世界へもいざなう舞台の中心、
ピュアで無防備な目をもつタカシは、どこか常人には手の届かない高みへ飛んでいってしまいそうな、透明な輝きを放っている。

 

一方でマモルは、透けたりしない。地に足のついた感性をもっている。
「紅茶とケーキが出てくるんだろうね」と憧れの家庭像(かわいい)をのぞかせるのも、本当は先生になりたいという夢も、きらきらしていた。
透明じゃないけどトルコ石も輝く、いわばそういう存在だ。地に足のついた宝石だって、宝石だ。

 

そんな兄弟の対比がまたすごくきれいだった。

 


マモルは、あやさんみたいな良い人を見抜く目を持っている。現実的な目だ。現実的な目にはちょっとした諦念が宿る。

 

タカシに好奇の目を向けないのは肉親のマモルだけで、それは良い意味で「特別扱いしない」という事だけど、マモルの目がほんのり冷たいのは、兄だけでなく自分に対しても諦めを抱いていたからだと思う。

 

そういうほんのり冷たいところが、やがて消えていく。最後、マモルが本当にあったかい目でタカシを見てくれるところが、感動的だった。マモルは、兄を通して自分を見つけた。

 

自分を肯定できて、人にもさらに優しくなれる。そんな幸せな気持ちに包まれて物語は終わる。


他の人たちもそう、自分を見つける。たくさん書きたい感想があるけれど、語彙と時間が足りない。誰もが、私はここにいてもいいんだって思えるところ。本当に。観てよかった。

 


「私たちは星座になれるんだよ、一人と一人でも」

 

いちばん好きだったのは、このあやさんの台詞だ。この舞台、全体を通して台詞のセンスが素晴らしすぎて、予期せぬところで涙腺にくる。

人間はみんな孤独だ。そして、さまざまな事情で、さらに隔絶は深まる。

 

でもどんなに遠く隔たれていても、それぞれで光りあうことで、手を取り合うことができる。みんなで何かを示すことができる。……こうして言葉で説明するのはとても難しいが、ひとつの台詞でなんと綺麗に表現するものだろう。なんて詩的で素敵なのだろうと思い、びっくりして涙が出た。

 

あやさんがタカシを助けてくれる理由は『この挑戦は君だけの挑戦じゃない、居心地が悪くてもがんばっている人たち、みんなの挑戦になってるんだ』と語られる。

TVを見て励まされている人たちがいること。今そこにいない人、物語には描かれない人の力にもなっていることが示唆される。そして私たち観客も、この優しい舞台に励まされ、みんな手をとりあって星座になる。……信じられないほど美しい。

 

あやさんとタカシの関わり方が素晴らしい、なんともいえないベストな距離感なのだ。おざなりな同情や慰めがない、半端に分かったフリをすることがない。あやさんはあやさんに出来ることだけでタカシを助けながら、そこにいてくれる。持ち前のユーモアと優しさで世界をあたためてくれる。

 

家と施設と公園がタカシの日常サイクルだというが、公園以外は物語にほとんど登場しない。公園に捨てられたタカシとマモル。公園は彼らにとってのステーションなのだと思う。さまざまな人に出会う場所であり、そこからどこかへ旅立つ場所だ。TV局とも繋がっている。(公園の次によく出てくるのがTV局だが、やはりTVとタカシを結びつけた(オブライエンに出会った)のも公園だ。)

 

あやさんは、ステーションを見守る人、中央駅の駅長さんみたいな存在だった。何かドデカい事をするわけではなく、あやさんに出来ることだけをしながら、そこにいる。それがとても良かった。一人五役ところころ変わるキャラクターもいるので(演じ分けるのが物凄い)、落ち着いたあやさんの役回りがまた生きてくるのだと思う。

 


まだまだもっと言いたい感想があるけれど、言葉がたりない。

一度しか観劇できなくて悔しい。

 

 

長江さん推しだからどうしてもマモルのことばかりになる、申し訳ない。

 

兄が座る前のベンチをぱんぱんって払う仕草が好きだった。

 

「くじらぁ?」幼児。もう分かってる。可愛すぎる。好きです。

 

みんなモブに変身する『めがね』というお得アイテム。すばらしい。
メガネをかけた瞬間の、長江さんの切り替わり。心がときめきで異空間へ放り出されるかと思った。楽しげでユーモラスなダンス(さすがキレッキレ)、ハイタッチ。赤い照明のなかでの見下すような目と冷酷な笑み。良い。

 

そしてまたマモルに戻った時の「にいちゃん…!」って目。

 

母なんて忘れたと言いながら忘れてない。いつも言葉どおりじゃなさそうな弟の気持ち。ケンカしてもやっぱり兄を捨てられない。ちゃんとあやさんに「ありがとう」「助けて」の電話する。しっかり者の苦悩。葛藤と愛情を感じさせてくれる、最高のはまり役。

 

さわやかさも粘っこさもある人間味、強みがますます磨かれて素敵でした。


DVDが待ち遠しい。はやくまた観たい。